16『上級魔導士試験』



 真に強い魔導士は知っている。
 実戦だけでは魔導士にはなれない、
 知識を得る為に机に向かう事も必要なのだという事を。

 真に強い魔導士は知っている。
 魔導士に本当に必要なのは強い魔力ではない、
 冷静に適格な魔法を使える優れた頭脳なのだという事を。

 真に強い魔導士は知っている。
 魔導士がその力をもって、何をすべきかを。



 流石に戦闘訓練所で怪我をする人間は多いのか、医務室は戦闘訓練所のすぐ隣に位置していた。
 内装は医務室らしく白い壁に、その場にいるだけで癒されそうな観葉植物が据えてある。実際に、その植物、ハーヒルの葉から空気中に散布される成分は、精神を落ち着かせ、自然治癒力を高める働きをするのだそうだ。
 その他にも、治療用の魔導器が、ここにはたくさんあった。

「あいっててててて、痛い、痛いっちゅうねん!」

 そんな医務室に今響いているのは専らカーエスの情けない声だった。
 彼の隣に座っているのは、コーダである。何と医師の免許を持っているという彼は一人しかいない魔導学校の校医を手伝い、カーエスの治療を任せられ、彼のあらぬ方向に折れ曲がった右腕を真直ぐに直そうとしているのだ。

「だめッスよ〜、そんなに暴れちゃ」

 そういって、コーダはカーエスの腕を力任せに真直ぐにする。突然自分を襲った激痛にカーエスは声なき悲鳴をあげる。

「………っっっっっっ!」
「はい、よく我慢出来やした〜」と、コーダは千変万化のカーエスの表情をとても楽しそうに眺めている。

 丁度、薬をとりに通りかかった校医が、その様子を見て眉を潜めた。

「あれ? 麻酔使わなかったんですか? あれだけしっかり折れ曲がってたら直すのにかなりの痛みがともなうでしょうに」

 それを聞いたカーエスが顔色を変えてコーダを睨み付ける。

「……ど〜ゆ〜事なんか説明してもらおか」
「いやぁ、カーエス君ってリアクションが素敵スからねぇ」
「おんどれの目ェ楽します為だけかいっ! って……ひぃぃ!?」と、しれっと答えたコーダを怒鳴り付けようとしたカーエスだったが、コーダが薬をしみ込ませた布を骨折の患部に当てた瞬間の痛みに、つい悲鳴を挙げてしまった。
 コーダはカーエスが固まっている間に、手際良く布の上から包帯を巻き、それを固定した。

「はい、このまま固定してたら明日にはくっついてやスよ」
「おんどりゃ、あとで覚えとれよ……どえぇぇ!?」

 痛みに顔をしかめながら、カーエスはコーダを睨み付けたが、今度は擦り傷に消毒薬を塗られ、またもや言葉は中断される。
 しかしカーエスは、必死でその痛みに耐え、コーダに今度こそ一言かまそうと口を開いた時、コーダが尋ねた。

「どうスか?」
「え?」
「ジェシカさんに負けた気分」

 コーダに怒声を浴びせかけようと思ったカーエスは、毒気を抜かれたように落ち着きを取り戻すと、溜め息を一つついた。

「正直悔しいな。……めっちゃ悔しいわ。最後の《増幅する魔境》、成功せんかったんは、間違いなく最近訓練サボっとった結果や。カルク先生とかリクとかやったら、倍返しまでは無理でも、無傷で方向を変えるくらいは軽くできとったんちゃうかな」
「そんだけ反省出来てりゃ、もう落ち込む必要なんてないスよ。これから頑張ればいいっス!」

 そういって、彼は包帯に固められた彼の右腕をバシンと叩いた。
 たちまち、カーエスの表情が固まり、目に涙が滲んでくる。

「ぎにゃあぁ」



「……相変わらずやかましい男だ」

 布一枚隔てた仕切りの向こうから聞こえてくる悲鳴にジェシカが眉をしかめ、こめかみを震わせて呻いた。
 彼女も治療中だった。カーエスのように骨折をしているというわけではなかったが、ところどころ火傷や打撲が見て取れる。それは服の下にも及んでいた為、現在、ジェシカは上半身下着姿という格好だった。
 校医にそれらの傷に軟膏を塗られて行く様子を見ているのは、フィラレスとティタだ。

「ハハハ、闘ってる時はあんなに寡黙だったのにねェ。今はああやって泣きわめいちゃいるが、骨折した時は顔を歪めさえもしなかったし」

 それほど、精神を集中出来ていたのだろう。普段ホニャララしているのは、その精神の集中度に大きな波があるからなのだ。普段全く集中していない分、ツボにハマると周りが見えないくらいに集中する。自分の腕が折れた痛みにも気付かないくらいに。

「まあ、なんにしても勝てて良かったじゃないか」

 ティタの言葉に、ジェシカは少し間をおいた後、ぽつりと言った。

「私は、奴に勝てたとは思っていません」

 もしあの時、リクが試合を止めず、闘いが続いていたら、自分が勝てていた保証さえない。
 完全に決めるつもりで放った一発だった。
 まともに喰らって殺す事にはならないだろうとは思っていたが、気絶、もしくはそれに類する戦闘不能状態には陥らせるつもりで放った一発だ。
 それをカーエスは右腕一本の犠牲で済ませてしまった。
 そして、ジェシカは先に“切り札”を切っただけであり、それがカーエスだったとしたら、自分はそれこそ右腕一本では済まないくらいの負傷を負っていたに違いない。

「もしあれが本当の決闘ならば、タイミングを逃さなかった私の勝ちだと言う事もできるでしょう。しかしあれは決闘というより、試合です。負けた気はしませんが、勝ったという気持ちも微塵も湧いていません。ただ、私は認めましょう。カーエス=ルジュリスの魔導士としての強さを」

 告白めいたジェシカの言葉を聞いていた、ティタの顔が次第に綻んできた。
 その様子に、ジェシカが怪訝そうな目を向ける。

「どうかしましたか?」
「いや、ごめん。ただ、アンタ達二人はちゃんと分かったんだなってことさ」
「は?」

 その答えが、ジェシカの顔にさらなる疑問の色を加えた。

「リクがね、アンタ達が闘っている間に言ったんだよ。この勝負は勝ち負けじゃないって。問題はアンタ達二人がそれに気がつく事なんだってね」

 その際、どういう意味なのか、というティタの問いに対し、リクはこう答えた。
 カーエスとジェシカが喧嘩をするのは、お互いの力を認める事に素直になり切れていないからだ。本当は認めているのだが、認めている事実を認めていない。だから、こうやって闘わせればその点に関しての意地のようなものが消えて、お互い素直に認めあえる関係になれる。
 この勝負は、その目的が果たせるかどうか、それが全てなのだ、と。

「……リク様には適いませんね」と、それを聞いたジェシカが苦笑する。
「私も、大した器だと思うよ」

 ティタも笑みを返すが、何かを訴えかけるような、フィラレスとジェシカの視線に気付くと、すぐにその笑みを引っ込めて言った。

「しかしそれと今回の試験は別さ。なにも合格でなくても、私を納得させる何かがあればいいんだ」


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 その頃、医務室に程近い小さな教室の机の一つに、リクは一人座っていた。目の前には一枚の紙と、筆記用具が一揃い置いてある。
 その紙にはこんな文が書かれていた。


問四 一般魔法に属する魔法で氷属性と認識されているものを十以上挙げよ。

問二十七 全世界による魔法についての使用制限条約第三条第二項の全文を書き出せ。

問三十 フォートアリントンにて可決された条約の内、カンファータ王国とウォンリルグの間に交わされたものを三つ以上挙げよ。


「……参ったな……」

 問題がびっしりと書き込まれた問題用紙を前に、リクは深い溜め息をついた。



 少し時間は遡る。
 カーエスとジェシカの闘いが終わった直後、闘技場を後にして、リク達は医務室への道を歩いていた。
 そしてその場にはティタもおり、彼女は二人が治療をしている間に、とある提案をリクに示したのだ。

「上級魔導士試験!?」
「そう。アンタまだ法認魔導士じゃないでしょ?」

 通常、魔導士の定義といえば魔導を行い、魔法を行使できる人物全般を差す。しかし法律上、魔導士として生きて行くには資格をとる必要がある。そして、特に資格をもった魔導士をさす単語が法認魔導士だ。
 法認魔導士でない魔導士が魔法を行使する事は法律によって犯罪行為に指定されており、例えばリクが公衆の面前で魔法を使用した場合、保安機関に逮捕されても文句を言えないのである。
 しかし資格を得て法認魔導士となれば、魔導士として働ける事になり、取り敢えず就職口には困らない上、様々な特権なども生じてくるのだ。

 資格を持つ法認魔導士には幾つか階級があり、通常は下級、中級、上級、と繰り上がって試験を受ける事になる。
 もちろん、上位の魔導士であればあるほど特権などは増え、影響力も強くなるのだ。

「下級、中級、上級、どれでも試験を受けるのに条件なんてないから、いきなり上級を受けてもOKなわけ。本当は試験日が固定されていて、みんな一緒に受けるもんなんだけど、今回は別の目的だし、特別に試験を受けてもらう。もし合格点をとったら、ちゃんと資格免状も貰ったげるよ。やっぱ“大いなる魔法”に挑戦するからには上級魔導士試験くらい軽くクリアしてもらわないとね」
「なるほど、魔導士としての実力を測るにはオーソドックスに魔導士試験が一番ええ方法かもしれへんなぁ」と、カーエスが隣で頷く。
 それを聞いたティタは思い出したように言った。

「そう言えば、カーエスは上級魔導士の資格を持ってたんだったね」
「せやで。しかも成績は歴代第五位や」と、カーエスは骨折の痛みに顔をしかめながらも笑って胸を張った。
「なら、魔導士試験の結果といえども信頼性を疑いざるを得んな」
「どういう意味やねん!」

 済ました顔で横やりを入れたジェシカに、カーエスが怒鳴る。
 また喧嘩になりそうになったところに、コーダが割り込んだ。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。さっきまで思う存分やり合ったばっかりじゃないスか。で、兄さんは受ける気はあるんスか?」

 話を逸らし、リクに話題を降ると、リクはこくりと力強く頷いた。

「受ける気も何も、やるしかねーだろ」
「よし、イイ度胸だ」

 そう言ってティタがリクに渡したのは二枚の紙である。

「えっ……?」
「こっちが問題用紙、解答はこっちね。医務室の近くに丁度いい部屋があるから、そこでやんな」



「まさかいきなり筆記試験だとはなぁ……」と、リクは彼以外誰もいない教室で呟き、苦笑した。
 問題は百問。魔導士にとって必修である魔法学、魔導士法学、歴史学、魔導力学、魔導科学の五つの教科から二十問ずつ出されている。難易度は上級魔導士試験というだけあって、それなりに高い。
 いきなり筆記試験と聞き、今まで学科試験の類を一切受けた事のないリクは、全く出来ないのではないか、と不安になったものだが、自分でも驚くくらいに答えられる問題は多かった。
 解ける問題は解き、解けない問題は飛ばす。
 そうしてテンポ良く問題を進めている間、リクの脳裏に思い浮かんだのは、彼がまだ魔法を使えなかった頃のファルガールとのやり取りである。


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「ねぇ、ファル。いい加減魔法を教えてよ。こんな勉強なんてしてても、強くなれないよ」
「喝っっっ!」

 師・ファルガールの叫びと同時に、彼の袖を引っ張るリクの全身に電流が走った。
 激しく身体を痙攣させ、床を転がり回る。

「い、いきなり何するんだよ!」

 電流によるショック状態から回復してから、リクはファルガールを見上げて抗議した。
 その講義にファルガールはリクの前にしゃがみ込むと、彼の目の前に人指し指を突き付けて言った。

「ふざけた事を抜かすからお仕置きしてやったまでだ。勉強は役に立たねぇから魔法を教えろだと? いいか、魔法は感覚で使うものじゃねぇ、アタマで使うものなんだよ。だから魔法を使うには、それなりのアタマを作らねぇと駄目なんだ」

 そう言いながら、ファルガールはリクの額をツンツン突つく。

「そりゃ確かに、何も知らねぇでも感覚だけで魔法は使える。だが、感覚に任せて魔法を使うやつは、三流にしかなれねぇよ。本当にどんな状況にでも対応できる一流の魔導士になりたきゃ、アタマで魔法を使える魔導士になれ」
「じゃ、いつになったら教えてくれるの?」
「そうだな、時々テストをやってやる。それで合格点をとれたら、考えてやる。ただし、それで合ってるのが半分以下だったら、さっきみてぇに電流がくらわせるぞ」


 その宣言に違わず、ファルガールはリクにある一定の範囲を指定して勉強させ、リクが自信をつけてテストをしてくれと言った時点で、テストを作ってくれた。
 そしてこれもまた宣言通り、テストの結果が悪いと容赦なくファルガールは幼いリクに容赦なく電流を浴びせかけた。
 また、ファルガールは旅の移動中も、復習の意味で時々問題を出してきた。それに答えられなければ、やはり電流をくらわせられるのだった。


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「……電気を流すなんて、十歳かそこらのガキにする事じゃねーよなぁ」

 電流のショックは慣れるものではなく、時々死にかけた事もあり、リクは できるだけ電流を浴びずに済むよう、必死に勉強したものだ。
 しかし、いざ魔法を覚えてみると、勉強した意味をしっかりと実感出来た。魔導士の大事な資質は知識だと言うが、それは実に的を射た意見だったのだ。
 また、ファルガールが教えていた内容は、そのまま上級魔導士試験の対策にもなっていたようで、初めて受けるとは思えないくらい見覚えのある問題ばかりが問題用紙に並んでいた。


問五十四 世界歴七六四年、ウォンリルグのケフラーで起こった事件は何か。また、その事件によって、世界にどんな影響が現れたか説明せよ。

問七十六 魔導制御力・八十パーセント、魔力質・六十ポイントの魔導士が魔法を使い、魔法効果七十ガットを得る為に必要な魔力は何マナか求めよ。(記述されている以外の条件は考慮に入れない事)

問九十六 第二式魔石ブロックに描かれたシヴ紋様に、クラリス処理を行うと、どう行った現象が起こるか。


 最後の方を占めていた魔導科学の問題を、必死に記憶を掘り返して解いて行った後に最後の問題である第百問を見た時、リクのペンを走らせる手が止まった。


問百 魔導士の存在意義について論述せよ。


「…………」
 リクはしばらくその問題を前に思案すると、おもむろにさらさらと簡潔に答えを書き入れた。


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 その頃、ティタと治療を終えたカーエス達はリクのいる教室へと廊下を歩いていた。
 歩きながら懐中時計に目を落としたティタが呟く。

「もうそろそろ終わっている頃だ。さて、どのくらいの出来なのかねぇ?」
「意外とボロボロやったりしてなぁ。師匠があのファルガールはんやで? めっちゃ実践派っぽいやん。勉強なんざくそくらえ、ちゅーて」
「あはは、あり得やスね〜。あの人なら」

 カーエスの意見に、コーダが笑って同意した。
 彼らは道中の折、リクからファルガールの指導振りを聞かせられていた。そのほとんどが無茶としか言えないくらいのスパルタ教育の数々だった。その話を聞いた時、一同は大抵、呆れ、リクが五体満足で生き残れている事に驚く。
 そんな話をしている内に、件の教室の前に着いた。
 教室の扉を開けようとドアに手を伸ばしたが、その前に扉がひとりでに開く。

「うるせー、誰のテストがボロボロだ。人がいないと思って好き勝手ぬかしやがって」

 その扉の向こうから現れたのは問題用紙と解答用紙を抱えたリクの姿だ。おそらく、試験を終えた為に、リクの方からティタに渡しに来ようと考えたのだろう。

「そうスよ、カーエス君。失礼な人スね〜」
「とぼけんなよ、コーダ。てめーも同意してただろうが」
「あはは、聞こえてやしたか。兄さんいい耳してやスね〜」

 口を尖らせるリクに、コーダは朗らかに笑って応える。
 そのやり取りに笑いがなら、ティタがリクの手から解答用紙を抜き取って言った。

「それじゃ、解答用紙は預からせてもらうよ。採点をするから、その間にお昼御飯でも食べてきな」


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「それで、自信の程はいかがです、リク様?」

 昼食のスープをスプーンで優雅にかき混ぜながら、ジェシカがリクに尋ねた。宮廷仕込みというのか、彼女の食べ方はとても丁寧かつ綺麗だ。
 ずっと旅して暮らしてきたため、食べ方がやや粗野になってしまっているリクや、まだ細かい仕種に子供っぽい部分が残っているカーエスとくらべると、彼女の食べ方は目立つくらいに型にはまっていて礼儀正しい。

「ん〜、そうだな。八割は確実に合ってると思う。魔法学、魔導士法学、歴史学とかの暗記モノは大体出来た。ただ魔導科学でつまずいたかな。魔導力学の計算がどれだけ合ってるかが鍵だな」
「ほ〜、試験対策も練らんと、ようそんだけとれたな」と、カーエスが素直に驚いて言った。「特に、暗記モンなんて上級魔導士試験のとなれば相当マニアックなやつも出とるよって、俺もあんまし覚えてへんねんけど」
「いやぁ……、死ぬ気で覚えたから」

 そう意味深に答えるリクの目は遠い。
 ふと、フィラレスに目をやると、彼女と目があってしまった。
 朝のように慌てて目を逸らすかと思いきや、今回は目があった事にも気付かないようにジッとリクを見つめている。
 どうかしたのか、と尋ねようとも思ったが、きっとフィラレスは首を横に振って何も言わないだろう。

 しかし何かの問題を抱えている事には間違いない。
 リクは、気が付いていた。エンペルファータに着いた時、フィラレスが見せていた憂いの影が深くなっている事に。


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 お昼時とは言えど、研究員はほぼ全員がまだ作業をしていた。キリのいいところまでやってから、といって結局食事が出来ないという研究者の典型パターンの賜物である。
 そんな賑やかな研究室の一角に据えられている机に向かって、ティタは一人リクの解答用紙の採点をしていた。
 傍らにおいてある解答を参照しながら、リクの解答用紙に丸とバツを付けて行く。

 残り二問の時点で、八十九点だった。あと一点で合格ラインだが、九十九問目は不正解だった。
 残るは百問目。しかし、最後の問題はいわゆる、答えの無い問題である。採点者の裁量一つでどうにもなる問題だ。

問百 魔導士の存在意義について論述せよ。

 この問題に対し、リクは短く、こう書いていた。

「この世のあらゆる難を取り除くため」

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